自葬とは

[自葬]という語句を辞書(ウェブを含む)で見てみると、『僧侶や神官に依頼せず、自分で親族の葬儀を行うこと』という説明が出てきます。
自由葬、無宗教葬とも呼ぶようです。

また、『明治5年(1872年)6月28日、太政官から自葬の禁止令が出された』との記載もありました。
かつて葬儀は僧侶・神官が執り行わなければならないことだったわけです、慣習としてではなく、法的に。

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【太政官布告:だじょうかんふこく】

明治維新後、太政官の発した法令の形式。
明治19年(1886年)内閣制度の発足により廃止されたが、現行の日本国憲法に反していない限りは現在も有効。

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現在は日本国憲法第3章第20条で信教の自由が挙げられているため、葬儀に僧侶・神官の介在が必須ということはなくなりました。

考えようでは明治5年の自葬の禁止令が、現在、俗に『葬式仏教』と多少の揶揄を込めて言われる一因となってしまったのかもしれません。

日頃は特に信心しているわけではなくとも、葬儀となると、宗派は何だったか、菩提寺はどこだったかと、急に考え出してしまいます。
しかし、自葬の禁止令が出されたのは約150年前であるうえ、すでに今はその禁止令も無効です。
かつて禁止令が出されたということは、つまり、それ以前には行われていたということを意味しています。

こういうときばかり◇◇宗というのも如何なものかと思う方々には、自葬も選択可能であるということを提案致します。

単刀直入に

「冠婚葬祭といった事柄は、スタンダードに行いたい」
「これまでの通例に沿って行うべきである」
そう思われる方は、この先を御覧になると御気分を害されるかもしれません。

少子化。
高齢化。
地方の過疎化。
居住家屋の変容。
なにかと取り沙汰される環境の変化に伴い、ここはひとつ、ものはためしに通例とは異なる提案をしてみようという主旨です。

「思い切って簡潔に」
「法的に問題がなければ、省けるところはバサッと省きたい」
そのようにお考えの方には参考になるのではないでしょうか。

生まれてきたからには、皆、いずれ息絶えます。
これだけは確実です。
今日生まれてきたばかりの新生児も含め、現在生きている者の90%以上が、100年後には亡くなることになります。

そして人の死に際しては、これまで生きてきたからこそ煩雑なことも多いのです。

それらを『できるだけ簡素にしたい』と考える方に向け、述べていくことと致します。

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長く患っていたとしても、救急搬送されたとしても、現代では多くの人が病院で亡くなります。
高齢者の場合は介護施設で亡くなるケースも増えてきました。
息を引き取った後は病院や施設と提携している葬儀社の人が、葬儀・告別式などをどのように行うかという接触をしてきます。

ここがポイントになります。

故人が自身の死後のことをエンディングノートなどの形で具体的に残していない場合、そこで親族が『他の葬儀社の見積りも取って、較べてから決めたい』と申し出るというのは、事実上かなり困難です。
可能であればそれもひとつの方法かもしれませんが、心情的にも時間的にも決して充分な余裕はありません。

つまり『簡素に』を第一とする場合、たとえ大雑把にでも予め考えておいたほうが混乱を避けられます。
『存命中から段取りをするようで、なんとなく厭だ』とは思わない方、下調べだけでもしてみることをお勧めします。
いずれは旅立つ、自身の問題という側面もありますから。

現代はウェブでも各葬儀社の比較ができる時代です。
見てみるだけでも参考になります。

筆者の父が亡くなった際、標準より長身だったことから大きな(長い)棺へ変更する必要があり、取り寄せる若干の時間と追加費用が発生しました。
そのような回避できないプラス・アルファが出てくることも、考慮しなくてはなりません。

棺に入れる生花(顔の周辺を飾る花)や、僧侶の読経なども省くことはできます。
(故人も親族も)特筆すべき信仰はないにもかかわらず、葬儀だからという理由で見知らぬ僧侶へ読経を依頼することに躊躇するのであれば、省くことも可能なのです。

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臓器移植や献体も生前の手続きが必要となるため、そういった希望をお持ちの方々は予め話し合い、しかるべき機関に登録しておくことが不可欠です。
臓器移植となれば可能な限り早急に臓器を取り出すこととなります。
防腐処理などを施すことから、献体も時間的な制限があります。
亡くなった時点で思い立っても、まず不可能です。

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すでに“◇◇家之墓”というものがあり、遺骨を納めるスペースも充分で、後継者も決まっていれば、問題はありません。
しかし『お墓がない』『頻繁には行かない(行けない)離れた場所にある』などの事情があれば、墓所をどうするかということも課題になってきます。

そこで、これからの新たな方法を見出していきたいと思うのです。